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「なつかしの」みたいな話。昭和レトロではなく、古いおたくの単なる昔話と視点のずれた世間話。しかもマイナー好みで忘れっぽい。大空魔竜ガイキングを礎に生きる日々。だと思う。 さぼり気味ですごめんなさい。
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さまんささん
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バーゲンハンター
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昔話
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特に何がどうということもなく。
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こんなのが出てきちゃったりなんかして~


雨の日がまちどおしい!!
あんそにいの洋傘。
だが人は彼をキャプテン・フューチャーと呼ぶ。
その昔、学童用の傘は黄色が定番だったんだっけねえ。
同級生に傘屋の娘がいて、その子にもらったものであると記憶。お店に貼る短冊形のポスターです。
ほかにも何種類かもらったと思うけど、捨てちまったかなあ。
もうぜんぜん覚えてないですよ。


cfab1c96.jpg

なんつーか、少年まんが風のガッツのきいたルックスのフューチャーですね。アメリカンな彼は髪に金髪線が入ってます。これは当時の漫画におけるガイジン絵には欠かせない効果線です。
ていうか、少しは似せて描こうという意志がまったく感じられないのも当時っぽくていい雰囲気です。


cap3.jpg

しかしなぜか著作権の主張に相違が。
もしやウルトラマンフューチャーという新作の気配が。←ないって。


- - - - -


最近はフューチャーも(C)東映アニメーションになってますね。


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こんなものが出てきたど。

ハードブラックは塗り用。ソフトブラックっていうトレス用もあった。



長猫印の東映動画アニメックス。
これは小瓶で、120円くらいだったかなあ。うちの地元の画材屋でも買えました。
最初の頃はレギュラーサイズで「アートカラー」(?)という、別のラベルが貼ってある物しか売ってませんでしたな。色数も少なかったし、テレビアニメで使用されてる色とはなんか違うので徐々に物足りなさ爆発でした。しかも、本物のアニメックスと臭いがちがうんだよな。

狛江の駅近所にスタジオロビンていう彩色スタジオがあって、そこに行くとちゃんと業務用のアニメックスを小分けして売ってくれた。

ある日、臨時にもらった小遣いを懐に心弾ませ出かけてったんだが、運悪くアニメックス販売担当の人が休みか帰ってしまってた。で、そこに居合わせた人たち(ロビンの人?他の人もまざってたような)が、せっかく買いに来てくれたのに悪いからと、慣れない手つきで大ボトルから販売用小瓶にせっせと分けてくれた。もうドブドブこぼしちゃったりして。
ありがたいことです。これぞホスピタリティですね。ひと瓶200円ですが。

…うむ、いまだから書くけど、濃度が極端に薄いのがあったよ。アニメックスって、つかわないと底に塗料が沈んじゃうんだわ。で、それを使う前にかき混ぜるんだけどね…普段やってない人たちだったせいか手際よろしくなくて、1個だけ小分けする前に混ぜるのわすれてたのね。 それはよりによってフューチャーの肌色だったんだな…(泣)
でも、大変にいい人たちだったですよ。
壁に、手書きの宇宙戦艦ヤマトの横長の大判セル(古代くんと森雪。誰が描いたんだか不明)が貼ってあったんだけど、「ヤマト好きなの?いーよいーよあげるよ持ってって」って、その場ではがしてくれた。いや欲しがった覚えは無…
しかもそれ、別の人のものを勝手にくれたみたいなんですけどね。
「えー、知らないよー、××さんのものだからあげたら怒るよきっとゲラゲラ」とか「いやいーからいーからあげちゃってゲラゲラ」とか、みんな大喜びで私にくださったんだが、あの後××さんは大丈夫だったんだろうか?

帰り際に「永井豪の手天童子に似てるね!!」などと明るく送り出してくれたっけなあ。ええ、あたしゃどうせ男顔だから。

今はもうアニメでセルなんて使わんし、当然スタジオロビンも無くなっちゃったんですかね。
でも、あの人たちはまだどこかでアニメの仕事に携わってるのかなあ…。
と、通り過ぎるロマンスカーの音色を思い出しつつ、干からびた塗料を前にノスタルジックな深夜を過ごすのもひたすらに寂しいものです。眠い。


- - - - -



うーん、ロビンはこの後くらいから2階に簡単なアニメショップとか出来て、日本アニメーション系の柄のセルのしおりとか、彩色キットなんかも売るようになってたような気がする。
まあ私がアニメックス買い物に行った頃はその直前くらいののん気な時期でした。

ヤマトのセルの持ち主の人ごめんなさい。その数年後、くっついてはげてしまいました。

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もうすっかりバイスファンとしてのアティチュードが消えうせたかのような日々を送るわたくしでございます。うはー。



11年前に描いたマイアミバイス同人誌の表紙にためしに色を塗ってみた。
ダサい塗り。
ちゃんと書き換えて、ちゃんとバイスの本を出そう…

コミケでもチラシこさえて、千葉テレビ正月マイアミバイス連続8本放送の宣伝とか、がんばってやってたんだけどなあ。11年前の情熱は今何処。

やっぱキャステロ描かないとだめだよな。
夏コミは申し込み忘れたから冬を目指そうかと。



しかしオルモス老けたな。

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うう~。
広川さん訃報でとっても動揺してるらしい自分に気がついた。
キャプテン・フューチャーやスノークさんもそうだよねえ。

フューチャー好きだったなあ。
NHKに「再放送してください」とかって電話かけたこともあったなあ。親切なおじさんに電話がつながれたようで、なんかしばらく話してくれたことがあったなあ。
でも、再放送の予定なんか全然無かったんだよなあ。
…でも、うちでBSのアンテナをとっぱらったら、その直後にNHK-BSでフューチャーが始まりやがって、あん時はかなり泣けてきたっけな。


ほんとにがっくり。
私の昭和の大部分にかかわっていたんだなあ。
広川さんのご冥福を心よりお祈りいたします。





しかも、つい最近までとってあったフューチャーのセルやら本やらは、ヤフオクで売り飛ばしてしまいました。しかもフューチャー声優一同の寄せ書きサインまで。
あらあらあら。

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びっくりである。
どうもこのごろ、氏の声を聞く機会が少なくて寂しいと思ってたんだが。

わたしが初めて意識した声優さんというのがこの方でありました。
というのも、簡単な漢字の名前だったので、「バットマン」の声の出演のテロップで、名前が読めたのがこの人だけだったんだよな…ただし、ひろかわフトいちろうとかって読んでた気もするが。
ストレイカーは、初めて「いい男だぜ」と思った外国人だったな。子供には話が暗すぎて見てらんなかったけどな。初めて見たときは中岡俊哉の出てくるUFO特番と勘違いしてたんだったかな。
「ダンディ2」は佐々木功との掛け合いが面白かったなあ。本放送では見たこと無かったけど、後に友達がカセットテープに録音したのを貸してくれたんだなあ。「それは言えない家なき子!!」とか、すでに広川節だったなあ。
「男たちの夜かな!?」は、ひたすら眠かったり、家の心霊現象(たぶんそうだったんだと思うがよくわからん)におびえつつも、それに耐えて聞いておったのだよ。あの頃、アニメの話をおおっぴらにしているラジオ番組なんてなかったからなあ。
ゲストに神谷・中尾・麻上の3氏とか、佐々木功氏(ヒッヒッヒという笑い声を初めて聞いて驚愕)とか、来てたんだよなあ。
洋画での気に入りは、「ヤングフランケンシュタイン」だな。
他にもいっぱいあるなあ。

気がつけば、もう吹き替えを楽しみにTVで映画を見るという事もなくなってしまってたなあ。


さようなら広川さん。
とかなんとか言っちゃったりなんかしちゃったりして~…って書いとくべきなんだろうか。
ひたすらにしょんぼり。


追記
「男たちの夜かな!?」では、伝言コーナーみたいなのがあったんですよ。
放送中、番組宛に電話して用件を伝えると、それを広川さんが読み上げてくれるコーナーだったんだわ。
午前2時とかに、こそこそ電話かけてましたよ私。親が起きて来ると「何時まで起きてる!!」とぶっ飛ばされるからすごい小声で喋ってたんですが、電話に出てくれる女の人も「あ、おっきな声出せないんですよね?」って、ちゃんと事情を察知してくれるんだわ。
しかし、喋り言葉の伝言頼むのが妙に恥ずかしかったさ。「え?えーと、『××へ。明日学校休む』、でいいですか?」って聞き返されたりしたなあ。
一度、同級生宛の伝言で、「風邪薬かなんかでじんましんが出来たから明日学校休む」、ってのを広川さんに読んでもらったことがあった。
その時広川さんが「薬は気をつけないと危ないよ」みたいなコメントをくれて、「昔、漆でかぶれたことがあって、木の下を通っただけなのにかぶれて、一箇所掻くと、そのオツユがついた手が触ったところまで痒くなって、そこがまたかぶれて、変な話男性自身まで全身にかぶれが広がって大変だった」というような事を語っておられました。
…男性自身の意味がわからんかった私がそこに居たのも懐かしい思い出だが。
(いや、漆の話はまた別の人に対するコメントだったかなあ?もうあやふやだ)

あと、「おーい、少年探偵団劇場がはじまるよー」って、嵐の中を漂流してるような声ではじまる「少年探偵団」っていう劇団のラジオドラマが途中に入ってたりもしました。もう無くなってしまった劇団だけど…少年探偵団劇場っていう新宿かどっかにあった劇場でやってたみたいだが。当時、なぜか学校の先生がその劇団のステッカーをくれたんだけど、今ざっと探してみたら見つからなかったわん。


- - - - -



モンティ・パイソンのブログパーツも今は悲しいのう。

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本日の酸素カードル。

緑に白い鉢巻模様は工業用酸素米国仕様。


…いや別に意味も無く、酸素がいっぱい置いてあったので写しました。横田基地です。去年です。
8本カードルでございます。
日本の7立米よりも小さい瓶です。アメリカサイズなんだねきっと。
ちなみに日本の工業規格では酸素は黒い瓶(ボンベ)です。水玉とか縞々とか萌絵とか勝手に描いたらまずいですね。
日本じゃ緑は炭酸ガスと決まってて、炭酸水とか作るのに使ったりしますからスカッとさわやかでもありますね。

アメリカのボンベは酸素が緑なんだね。別にアーミーカラーで緑に塗ってあるんじゃないのだね。でも、奥のでぶっちょシリンダーは液化酸素と書いてあるが黒っぽい深緑色だね。

黄色いトラクターみたいのに乗ってる外人さんが「ナンダコンナボンベメズラシインカ、オメーバカジャネーノ」みたいな視線を向けてました。ごもっとも。


ま、本邦では珍しく「米国のガスボンベが見られるブログ」ってことで珍重してください。
(珍重以前に需要がぜんぜんない画像ですけど)

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なぜか急に思い立って、レンタルに出撃。

何が見たい・聞きたいという目的も無かったから、ひたすらに店内をうろうろ。
おおー、これはキカイダー随一の名歌「春くれば」が入ってる借りちゃおっかなー、いやまてよ、半額の時で別にいいじゃん、なんや奥さまは18歳がいっぱいあるけどなあ、ゴレンジャーでも見ようかいやこれは半額の時でいいや、等等。
気がつけば30分以上もニヤニヤしながら店内徘徊。やばい、これじゃまさに変な人である。
店員さんの視線も心なしか痛いよ。←挙動不審だから

これはまずいと思い、あわてて何かチョイスしようと思っても決まらん、いや、本当は決まってたのだけど。しかしこの情勢で「バタリアンリターンズ」なんてカウンターに持ってっていいものでしょうか。いい年こいて挙動不審なホラーファンだと思われるのも恥ずかしいです。


そしてやけくそで選んだのが「未来惑星ザルドス」のDVDと「決定盤!テレビ・アニメ主題歌 オリジナル・サントラ集 昭和38年~昭和43年」。


ううう、おとなしくバタリアンにしとけばよかった。
これじゃやっぱり普通の趣味ではない人丸出しです。とほほほ。


でも、サリーちゃんのパパパのチョイナとかスカイヤーズ5とか聞けるからいいか…。ザルドスも久々だしな…はは。はあ。




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あのタールマンとかオバンバとかは一切出てこない異色純愛ホラー。
純愛つーかなんつーかね。この女優さん、トゲニシアに似てるんだよ。


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三浦元社長逮捕で真っ先に思い出したのが「ふたりの部屋」という主婦の友社のいにしえの雑誌。
もう25年くらい前なんだけど、小遣いをはたいて買っていたインテリアの季刊誌(のちに隔月刊)だった。



当時、インテリア雑誌というと、しいていえば「私の部屋」(マイルーム出版)くらいしかなかった。
しかもその「わたしの部屋」でさえ、落ち着いた家に住んでて日向ぼっこの好きな奥何だったんだろさんがターゲットのような、日々の暮らしに気取らない飾りと充足感を求めてます風の本って感じだった。(実際にはぜんぜん違うコンセプトの雑誌だと思うけどさ…つまりソーヤングな私には地味だった)

1枚だけとってあるふたりの部屋の切り抜き。オレンジスパイスというのを作ってみたかったけど未だに作る気配なし。こんな50年代風デザインとか、すごいオシャレな紙面に見えたんだけど、今見ると…まあアレかしらん。アルギンZの広告載ってるし。



そこに現れた「ふたりの部屋」。表紙は化粧の濃い外人の女の子モデルがポップな服着てポップな小物や家具と写ってて、単にそれだけなんだけど、すごく最先端の雑誌に感じたもんである。
内容は、雑貨ショップ案内とかおしゃれ雑貨とか、手作りもちょっとあったけど既存の雑誌にはなかった斬新なスタイルのものがあり、「えええっ、こんなオシャレなものがご家庭で作れるんか!!」と感激したもんである。あんまり作らなかったけど。…不器用ですから。
いかにもスタジオセットで生活臭の欠落したインテリアの見せ方なんぞがこれまた毎号楽しみでな。←読者参加中心型の自己満足ルームの公開雑誌とかではないんよ。


同誌に載っていたリップチップスなんて、すごく食べてみたかったがちょっと高くて買えなかったさ。アメリカ製のポテトチップで、ちょっと辛口だったらしい。青空に唇が浮いてる模様のでかいバケツ缶に入ってて、量が多くて缶が立派な分値段も高かったのよ。ソニービル地下で実物を見たんだったかなあ…? ネットで検索しても出てこないぞ。当時アメリカで流行ってるってふれ込みじゃなかったっけか??

他に、よく掲載されてたショップで覚えてるのは、オンサンデーズ。週末しか店を開けないというのが店名の由来だったような。まだ開店当初で、最初は輸入カード中心の店だったと思う。
レイジースーザンも当時は派手色プラスチックのパーティーグッズ(って言葉がもう死語?)や'50s POPみたいな壁掛け時計とか売ってなかったっけ?
実のところ、上記2店も含めて実際に行った事のある店はほとんどないんだけど、当時エーゴを習っていた教室の近所にあったFOB COOPには、コップ類や銀色っぽいキッチン雑貨がたくさんおいてあって、なんておしゃれな店だ、やっぱ広尾ってすげえわと感激した覚えがある。
でも、ここもまだそんなに繁盛してなくていつも空いてて、店に入っても店員さんの姿が見えなかったな…。



で、三浦元社長が当時経営していた輸入雑貨店「フルハムロード」の雑貨も、同誌によく掲載されていた。
先にことわっておくと、私はフルハムロードに格別な思い入れがあるのかと問われると、申し訳ないけど、ぜんぜんないよ。単に、ふたりの部屋に載ってたなつかしのお店のひとつ、というだけだ。


ちなみに、便宜上フルハムロードと書くけど、私が覚えている店名は「ハイテック・フルハムロード」だった。ハイテクではない、ハイテックですよ。なんかね、メタリックな小物を置いて、スチールロッカーや医療用ステンレススチールパイプ棚を家具代わりに使ったりするのが流行って、そんな近未来的無機質ステンレスインテリア系をハイテックって称してたんだっけか?。ヒドイのになると試験管やフラスコに切花生けて飾ったり。それがまた良かったんですが。
私が一度だけ行った事があるフルハムロードは、池袋パルコの奥のほう(どこから見て奥だよ)にあった店だった。正直、雑誌によく取り上げられている店のわりには予想より小さくて「ぅへ?」と拍子抜けした。
バーゲン好きの私(つーか金欠)は店先のワゴンで売られていた福袋だかおたのしみ袋だかを買った。値段は1000円くらいだったかなあ?口を閉じた茶色い紙袋で、店名のはんこが押してあったかも知れない。
ワゴンの脇で接客してくれた店員の女の子はごく普通のルックスの若い女の子で、今で言えばDo!Famlyの地味可愛い服とかが好きそうな子だった。なかなか感じのいい女の子で、私のようなおたく丸出しの女子にもちゃんと接客してくれて、やっぱ有名な店の店員は違うわと感心した覚えがある。

どこぞの、元社長関連サイトを見たら、アヒルの形をしたフロアランプがヒットみたいに書いてあったんだけど、これってフルハムが本家だったのかい? これはかなり流行って、私もあちこちで目にしたけど、そっくりに見えて微妙にデザインが違うのも何種類もあって、どのメーカーが本物ともなんとも思わなかったなあ。ハンズや大中でも売ってなかったっけ?
(今ためしにgoooooooogleでアヒルのランプで検索したら、今でも売ってる店がヒットした。あららミッドセンチュリー? 昔はそういう区分に入ってたのかなあ)
それなら私の記憶に残るフルハムのヒット商品はというと、それはビリヤード台の形をした陶器の灰皿
これはPOPEYEかふたりの部屋か、どちらにも載ったんじゃないかなあ? 当時の私はその2誌以外は映画雑誌とアニメ雑誌しか立ち読みしてなかったのでわからんです。
おたのしみ袋を買ったときに店内を見物したけど、もちろんこれの実物が売ってた。ビリヤード台のほかにも種類があったかもしれん。什器であるスチールパイプ棚(ほれほれ、ハイテックでっせ)の上に並べてあった。灰皿にしてはかなりでかかったが、当時としてはすごい可愛くて、やっぱ東京は違うぜと感心し(略
ちなみに、このビリヤード台灰皿についてはgoooogleでも出てこないス。アイデアを模倣したようなのは出てくるんですけどね。


そんなわけで、件のおたのしみ袋の中身。これだけとってあった。
バドワイザーそっくり貴重品入れと胴巻き。


なんというタイムカプセル。久々に開けてみたらハンズチケットとか伊東屋のメルシー券が出てきた。…当時の私の貴重品だったらしい。


簀巻きにして東京湾に…違う。



売れ残りなどを詰めるのがおたのしみ袋の常でして。
しかし、このバドワイザー形貴重品入れもやはりふたりの部屋かPOPEYEかなんかで紹介されたのを見たことがあったので、なんや有名なもんがはいっとるわラッキーと驚いた。
たしか「実際のバドワイザーと同じ缶で同じ重さ(中にセメントかなんか詰めてあってビンが入ってる)だから、持ってもバレない」と雑誌に書いてあった。
(でもさー、アメリカの泥棒って冷えたビールも一緒に盗みやがるって聞いたことあるぞ。それじゃ一緒に盗られちゃうじゃん。)
赤い胴巻きみたいのは、缶に巻く保温用品らしい。これが売れなかったであろう理由はわかる。
当時の日本の缶ジュースは全部250mlだからだよな。これは350ml缶の太さに作られててベルクロテープがついてるんだよん。
他におたのしみ袋に入ってたのは、先日捨てたけどライフセーバー(ドロップ)型のミニ懐中電灯、プラスチックのピルケースみたいなやつ2個。あとは忘れたわ。それともこんだけだったかな。
たしかバドもどきが定価1500円くらいだったと思うけど、うーん、覚えてないや。総額3000円相当って感じだったんじゃないですかね。


でも正直、もうこれいらねえ
ものぐさと物持ちのよさでとってあるだけだわさ。ヤフオクに出したら顰蹙買いそうだし、コミケに持ってって誰かに押し付けてみるかな。ダメか。
なんかな、やってるやってない以前に、元社長の個性そのものがあたしゃ苦手なんだわ…これ見てるとそれが思い浮かぶからダメだ。

元社長、たしかに雑貨センスは良かったんですかなあ。
現在奥サンが経営してるという店舗の概観にはたまげた。「…したいも~ん♪」って書いてある看板など、まるでうちの町内の洋品店のようなサバービアンセンスじゃないですか。
しかしこれが元社長夫婦の本来のセンスだとしたら、あの雑誌に載っていた店って一体何? …も~ん♪とは別の感性があったんかしら。ううむ、あの店は誰か別に腕のいい仕入れ担当者がいて実は100%その人のセンスだったんじゃなかろうかとか思い悩んでしまいましたよ。いや別に悩む必要は何もね。


ふたりの部屋については古本屋で探して創刊号から揃えるほど重度のファンだったけど、「ふたりの部屋プラスワン」と誌名を変え、新婚さん仕様に所帯じみた内容になってからぱったりと買わなくなった。
もともとふたりの部屋って誌名自体が夫婦を意識してたんだとは思うけど、なんか夢がなくなっちまったのだ。
さらに「ふたりの部屋プラスワン」は現在の「プラス1リビング」の前身だと思う。
「私の部屋」のほうも現在はショップだけになってしまったらしいしなあ。
時代の流れである。


私の趣味も変わり、アメリカ雑貨ファンからどカントリー好きを経て、今じゃ一昔前のVictria Magazineみたいのが大好きだ。(一貫して、買わずに見るだけ)
うははは、でも好きなだけでそんなお宅にはまったく住まわっちゃいねえんざますけどね。かび臭い古本こってり押し込んだカラーボックスどうにかせんとな。
でも、ふたりの部屋のおかげで、Victria好きな今の私が居る。ありがとうふたりの部屋。もう全部捨てちゃっててすいません。




現在の趣味。
こんな部屋でアキュフェーズとかがっつり揃えてヒデ夕樹の歌とか聞けたら、最高にグッときますなあ。ゴーゴーゴーゴーゴー…うう。晩飯に使ったナムプラーが古かったせいか気分が…。




- - - - -


しかしだよ。あの頃の私の部屋って、テレマガのピンナップやキャプテンフューチャーのポスターとかまだ貼ってあったんだが。だめだこりゃ。



たくさん書いたわりにはまとまりがないね。





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