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「なつかしの」みたいな話。昭和レトロではなく、古いおたくの単なる昔話と視点のずれた世間話。しかもマイナー好みで忘れっぽい。大空魔竜ガイキングを礎に生きる日々。だと思う。 さぼり気味ですごめんなさい。
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どぜうのあの方である。
或る日、その千葉4区にあるあんまり大きくない勤め先(すでに滅んだ)に、まだ40代だったあの方が選挙前のご挨拶にやってきたのであった。

店長室の応接セットに、あの方、地元のえらい人×2、店長みたいな構成で座っており、そこに私がお茶を載せたお盆を持って登場。
しかし、お茶を置こうとして、こんな時に限ってお盆の上で茶碗をひっくり返してしまうどあほうっぷり。うわあやべえ。
「アハハハッ!!」
それを見て、中心人物のどぜうさんがいち早く笑い声を上げ、それにワンテンポ遅れて残りの2名もつられて笑い、さらにいつもは凶暴な店長も「だめじゃないかあ~♪」などとゴキゲンな笑顔。
それをきっかけに、なんだか場が和んだ気配。
うおお助かったぜ。

でも、どぜうさんは声の割りには目がまったく笑ってなかったのだ。
そうなんだ、どぜうさんが気を利かしてウケてくれなかったら、あたくしはあの場で店長にぶっとばされてたことだろう。
どぜうさん、安いお茶っ葉ですいませんでしたありがとう。

ちなみに、巷に貼ってあるポスターそのまんまの顔でした。


これまた、特に感想も書かずに終了。
うむ。

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ネットをやるようになってから(といっても十数年経ってますが)、どんなに些細でも、気になることがあるとすぐに、サーチエンジンで検索して調べるようになってしもた。

で。先ほどいきなり調べたのが水の江瀧子。ターキーですな。
ロス疑惑で名の知れた三浦和義氏(故人)のおばなんだそうで、でもあんまりにも顔立ちが似てるので、実は母子なんじゃないかとか騒がれたりもした。
で。それからすぐにターキーは芸能界を引退してしまった。たしか、ロス疑惑の頃のターキーさんて、東条會舘のCMに出てたような。「ほんとはあたしも結婚したかった(キャッw」みたいなせりふを言ってなかったかなあ?

で。何が気になったかと言うとですね。そういえば水の江さんて大昔は「男装の麗人」だったんだよね…という事でして。はて、その若い頃のお姿ってそんなに麗人なのかよ、と思いまして、早速ググってみた。
衝撃。

75年以上前なのにこのルックスってどうなの一体。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ce/Mizunoe_Takiko_1934.jpg

昔の人とは思えんスタイルで、なんか本当にすごい麗人なんですけど!!
オスカルさんもびっくりじゃん!



…と、結果が出て満足しておしまい。
それだけなんですけどね。
こうやって毎日、その場限りの思いつきの知識欲を満足させているため、夜寝るのが遅くなる訳ですね。

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たしか私が小汚い小学1年生だった頃のこと。
時は昭和まっさかり。子供はみんな外で遊び、友達の誘いがなくてもとりあえず外に出かけ、豆腐屋のラッパの音や団地の給水塔のスピーカーから5時の時報が流れると、それを合図になんとなく帰り支度をはじめたりするもんでした。
あの頃は、任天堂なんて花札だのトランプだの手品だの地味なメーカーだったし、当然ゲームもなかったのよ。

そして、そんな呑気な小学生たちを、恐怖と好奇のどん底に陥れる人物が登場したわけでして。
その名は「もんちょうしろう」。
なんかよくわからんが、子供らが遊んでいるところに現れると言われる、謎の男なんである。

しかも、それが子供らの話題に上るようになると、さらに学校からの保護者向けプリントでも「モンチョウシロウと名乗る不振人物がいるようなので家庭でも注意してください」みたいなお達しがあり、にわかにうちのクラスではモンチョウシロウブームに!

「モンチョウシロウのモンタージュ写真を作ろう!」と、ノートとえんぴつを持って張り切ってる子や(でもそれはただの予想図ってんだよ、と突っ込むほど賢い子はおらず、意味もわからんままにそうだそうだ作ろう!!と盛り上がった。)、モンチョウシロウの歌というものまで発生した。


・モンチョウシロウの歌(作詞作曲者不詳)

 おーれの名ーはモンチョウシロウ
 調子がいいからモンチョウシロウ


なんだこりゃ、である。
ちなみにハ長調でドードレミーソーファーミミレー、シーシードレーファーミーレレドー。今でも耳に残る旋律だよ。もっといいことを覚えていたかったが、今更仕方が無いのだ。


で。
これだけ書いててモンチョウシロウ本人に関する具体的な記述が皆無なのは、結局私のまわりでは誰も彼に遭遇しなかったんである…。


とはいえ、今ネットで調べてみたら、実際にモンチョウシロウに会った人が結構な数いるではないの。実在したのか!!
(そりゃまあ学校からの保護者向けプリントにも載るくらいなんだから、口裂け女の類のような単なる子供の噂話の産物って範囲を超えてるわな)
しかも、出没エリアや年代がかなりの広範囲にわたっているみたいだ。
へえええ。


ちなみに、ネットで拾い集めた情報などによるモンチョウシロウは
・自転車に乗った変なおっさん
・練馬・杉並・世田谷・三鷹・府中・小金井・調布・保谷・田無のあたりに出没
・子供らを呼び集めて自分の名前を復唱させる
・漢字で書くと門長四郎(しかし私らはモン・チョウシロウのように発音していたが)
一升瓶など空き瓶に蟻を大量に詰め込んでいる
・その蟻を売って商売していると自称。

ひいいい。オトナから見りゃ完璧にいかれたオヤジじゃねーか!!
ありんこは嫌いじゃないが、こいつは遭わなくてよかったよ!!
そうだよな、たしかその頃だったと思うが、うちのおかんが「変な人がいるから気をつけろ、絶対にくっついていっちゃダメだ」としつこく言っていた。
学校で配られたプリントの内容は覚えてないが、たぶんうちの学校では、モンチョウシロウを確実に危険度の高い変質者とみなしてたんではなかろうか。
しかも、ネットでの情報を見る限りでは、女子よりも男子に声をかけていたみたいだ。こいつはショタホモか、それとも小学生男子と同レベルの知能しかなかったのか。

…えーと。出没範囲はともかく、年代も長期にわたっているっていうのは、もしかして模倣犯もいたってことじゃないかなと思ってみたり。昭和40年代に会った人や、昭和60年代中ごろになってから遭遇したらしい人もいるようだし。
ううむ。これって、かつてモンチョウシロウの洗礼を受けた奴が変なオトナになり、そいつも勝手にモンチョウシロウを名乗って似たような活動を始めたとか、そんな感じの奴もまざってたり?
(勝手な推測かもしれないですよ、すいません。)

でも、もし模倣犯がいるのなら、切り裂きジャックのごとく時を経て突然復活したりしてな。多分、目撃者の最年長は今50代中ごろか初めくらいであろうか?
しかし、悲しいことに、今ではおもてで遊ぶようなお子様はほとんどいないし、第一そんな変な奴がいたら、あっというまに通報されてしまうのがオチだわな。
これじゃ、モンチョウシロウがかつての様な伝説の人になる暇なんてないであろうよ…。



なんだか、私自身や私のまわりの子が遭遇したわけではないので、どうもしまらないオチである。すいません。
まあしかし、モンチョウシロウは単なる変質者ではなく、多摩地区のノスタルジーの人みたいなんだよね。
ちょっとこれから気にかけてぼちぼち情報収集してみようかと。以外と、昔の新聞など掘りこせば何か載ってるかもしれないしねえ。

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天高くミサイル超ゆる春の空。


などと不謹慎なことを言ってる場合ではなく、まじで怖かった。
やだよー。なんとか落ちずに飛んでったらしいけど、どうも失敗したっぽいようだし。やりなおしとかするなよな。
うちの地元(というほど近所ではないが、県内)にもPAC3配備。
数年前にもやはり夜中にゴトゴト運んで来たことがあったけど、深夜3時に集団でのものすごい怒声やらなんやらが巻き起こり、近所の人は眠れなかったそうな。今年はどうだったんだろな…。




で。
話かわって、普通に見えて普通ではなかった人。

もう何年も前の話。
近所のコンビニもどき(個人経営のコンビニ風商店)に行った時のこと。
棚と棚の間の狭い通路でさえ、人とすれ違う時も1ミリも避けようともしないような婆がおりました。
その婆は、無表情もしくは仏頂面で、普通に無愛想な感じのニクイ婆です。
それでも、レジのオバちゃん2名が営業スマイルをもって、婆との雑談に挑戦。ニコニコと「お孫さんはー?」なんてことを聞いてます。

しかし。婆は呟くように言いました。

「孫……女の子がいたの。でも、××××医大に入院して、実験台にされて12歳で死んじゃった…」

婆の言葉に、オバちゃん2名は笑顔のまま硬直。
婆は買い物袋を手に下げ、そのまま、無表情で退店していきました。


ううう…。
きっとあの婆も、お孫さんが元気な頃には優しいおばあちゃんであったのだろうな…。

もう何年前の事かはまったく覚えてないですよ。
ただ、最近またニュースになっているのを見て、この事を思い出したのでありました。
でも、あの件と関係あることだったのかどうかはぜんぜんわかりません。


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一緒に仕事をしている某さん。
彼女もまた、地味目な真面目な、普通の中年奥さんである。
なんとなく服装も黒っぽいのでまったく目立たない人だ。
パート勤めで、日々、とてもとても地味な作業にコツコツと勤しんでいる。

しかし。
某さんは、エーゴべらべらな上に、かつてはビル・ゲイツにも会ったことがあるというほどのプログラマーであったと知った。あまりにも就業時間が不規則で退職したそうな。

さらに。
実は、例の事故(なんの事故とは言わんが)で会見していた社長の奥さんともお友達でもあると判明した。



…なんか千葉県の普通のおばちゃん主婦ってスゲーと思った本日。



わしも今から頑張って努力すれば、何かなれるかなあと思ってみたり。
何を頑張りゃいいかわからんけど、なんかやるべ。
ふと、本棚に目をやると、毒物劇物取扱者試験の問題集がある。
うむむ。でもなんか違う…。

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普通に見えて普通じゃなかった人たちについて。



友人の某は、どっから見ても普通の地味なおばさんである。
失礼ながら、茶の間で大正テレビ寄席などを見ているのが、かなりぴったり来るタイプであると思う。
でも、そんな彼女だが、かつては米国の田舎の大学で音楽療法とやらを学んできたのだ。(前にも書いたな…義兄がNASAのやつ)


時は80年代。彼女の、そのアメリカ田舎大での初授業の日。
教授がピアノを前にして、クラス全員に何か一曲ずつ好きな曲を弾いてみろとおっしゃったそうな。
どういうクラスなんだか知らんが、赤バイエル程度しか弾けない人から超絶技巧練習曲をこなすような人まで混在していたらしい。

で。
彼女が弾いてみせる番である。
ピアノが大得意な彼女は奮発した。
そして彼女が情感たっぷりに弾き込んだのは、よりによって、タイム・トラベラーのテーマ曲であった。

しかし、これを聞いた教授は感激し、
なんと!これはドビュッシーの小品か!?

トホホホホホ…

彼女は、なんか知らんがタイムトラベラーがどえらい好きで、テーマ曲をTVから録音(まだ家庭用ビデオなんか滅多になかった時代だ)したものをずっととっておいて、勝手にピアノでアレンジして弾いていたらしい。


なお、帰国後の彼女は、アフリカ大陸中東の某国の大使館にしばらく勤めていたが、まことに安月給であったと記憶。
本当は、景気の良かったA国大使館で働きたかったようだが、たまたま彼女がビザかなんかの用事で行った際に、おっかないオバちゃん職員が若手職員を大声で怒鳴っているのを見てビビッてしまい、呑気な国にしたようだ。
そういえば、大使館近所に行った際に一緒に昼飯を食べた事があったが、「今日はお昼は2時間とっていいって言われたからさ~」と言っていたっけな…。





さらに。

前の職場で知り合ったんだが、私より5歳ほど上だったと思うけど、まあ、池波志乃を濃厚にしたような顔立ちで、普通のデパート店員をやってる人がいた。
しかし、この人、実は70年代にはQueenのブライアン・メイの私設ファンクラブを主催していたという。
当時、フレディ・マーキュリーをこよなく愛していた私としては、Queenがスター千一夜に出演した時の話や、初来日の裏話など、それはそれは濃厚な話などを聞くことが出来て感激であった。(でも、もう忘れちゃった…)

この人は、かつてロック系の漫画で鳴らしていた某女性同人作家についても良く知っていて、
「コンサート会場で初めて会ったけど、麦わら帽子に小花プリントのワンピース着てて、みんなでどこの田舎娘が来たかと思ったのよ」

トホホホ…

某同人作家に罪はない。
しかし、70年代とはいえ、ハードロック好きな女子は黒っぽい服やケバいルックスが基本であったと思う。そこに陸奥A子のオトメチックまんがの女の子みたいな格好してコンサートにやって来たんだから、さぞかし浮いたことであろう…。
(この某同人作家はその後、かなりのビッグネームとなり、現在でもベテランプロとしてご活躍中である。本の中ではわりとファッションにコダワリを持ってるような表現が見受けられることもあったんだけど…)

ちなみに、傍からはいい年をしたおばちゃんに見えても昔のロックにものすごい詳しい人、というのはわりといるんだなこれが。




もひとつ。

数年前のことだが。
近所の古いマンションの前を歩いていた時、自転車に乗った奥さんとすれ違った。
子供は乗ってなかったけど、自転車は古めで、さびの浮いた子供用の荷台が付いていた。奥さん自身は、上記のアメリカ田舎大卒の友人とどっこいどっこいの地味っぷりで、しかも、さらに生活やつれした感じだ。
その奥さんが、目の前でポトっと家の鍵を落とした。
すかさず私は、落ちましたよーみたいな感じで拾い上げ、そしてウッと硬直。
その鍵についていたキーホルダーは、ニューヨーク・ニューヨークのものだったのだ。

ニューヨーク・ニューヨークってのは、その昔に歌舞伎町にあったディスコだ。
実際に海外の大物アーチストが来たり、それはそれはブイブイいわせていた(←古語)伝説の店である。その後にいっぱい出来たチェーン店化したクラブ類とは違い、純粋にディスコだった。
キーホルダーが入店証(会員証)になっていて、男が青だか黒だかで、女は赤地に自由の女神と店名が入ってるヤツだった。
(ちなみに、友達が熱心に通ってたんだが、あたしゃ入ったことはございませんでした)
もちろんこの奥さんのキーホルダーは、かなり使い込まれていたが、赤だった。

ありゃ~…。
この奥さんにも、かつては大音響の元でガツガツ踊りまくっていた青春(えっ)があったなんて、誰が信じてくれようか。

奥さんは「あ、すみません」と、元気のなさそうな声で鍵を受け取り、マンションに入っていった。
この時すでに、ニューヨークニューヨークが閉店してから十数年経っていたはずだよ。
あの奥さん、一体、どんな気持ちであのキーホルダーを使ってたんだろうなあ…。







なんだかな。

みるからにマニアやおたくの人よりも、普通なふりをして地味に生きてる人のほうにこそ、突飛で濃い人が多いと感じるんだが、どうですかねえ。

私自身はどうかというと、オタクでもマニアでも普通の人でもなく、宙ぶらりんであると思う。





NHK少年ドラマ・シリーズ「タイム・トラベラー」オリジナル・サウンドトラック
今じゃサントラも出てますな。

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ここ数年、栗原はるみ氏がどんどんとオシャレな主婦になっていますねえ。

髪の長さがマーサ・スチュアート社長とおなじくらいになり、私は視力低下のせいで、YOU氏と栗原氏を見間違えたりしてます。
(メガネ作ったけどなんか度が合わん)


私が良く拝見してた頃の栗原氏はこんな感じだったのですが。


(えんぴつで走り書き。ぜんぜん似てないぞう。)

髪の毛は大仏一歩手前のチリチリパーマで、トップの毛を後ろでまとめて留めて、シマシマのTシャツに主婦エプロン、菜ばしを持ったままアハハハとお笑いになる勇姿。
なんだっけ…フジテレビの奥さま番組で、ゲストのスターと一緒に料理するコーナーだったような…。



男女問わず、若く見られたい願望の顕著な方々の特徴として、「当人よりも若い世代が絶対に着ないような変な服を好んで着る」というのがあるように思えますよ。
当人の趣味や似合う似合わないを基準で選んだのではなく、これを着ると若く見えるまたは若い人ならこれを着るだろうという勝手な思い込みで、流行りもわからないままにお召し物をチョイスした結果そうなるんではないかと思いますよ。

で。
栗原氏は近年でもやはり、形は多少違えどもシマシマTシャツをご愛用だ。

私のおべんとう (Fusosha mook)

ちょっと奥さん、この方今年61歳ですってよ。(奥さんて誰)
チリチリ時代より今のほうが若く見えるくらいだ…スゲーですわねー。
(しかしこの写真は5年前だしフォトショップだし俯瞰だし)

テレ東の懐メロ特番の常連歌手のように厚塗りに奇怪な服で若く見せようとせず、素っ気無く定番の服を長年着ているほうが若く見えるのかもしれないのう。




…ちがうかな。まいっか。

なんだかんだ言って、私は、自分が10年前に買ったTシャツを今年も着るためのへ理屈をこねているような気がする。
いやほんとにすいません。年取るとせこくなってやーね。うはは。

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今日まで知らなかった。
6月18日、ターシャ・テューダーさん死去。92歳。

離婚後、バーモント州のど田舎に広大な庭を持つ家を建て、本職の絵本作家としての活動や、手作りとスローライフを営んでいた…って方であったと思う。
スローライフってなんだか俗っぽいような言い方ですが、たしかこの方は18世紀後半くらいの生活様式が大好きで、それを実践してるんじゃなかったっけ?
田舎暮らしで、暖炉で料理や暖を取り、ひとりで野良仕事をし、ほとんど全ての物を自給自足で…といっても「大草原の小さな家」的な耐貧生活ではなく、豊かな物資で趣味で楽しくやってるので大変に優雅な暮らしぶり。
生活の全てが趣味だなんて羨ましい限りである。
ガーデニング!カントリー!アンティーク!趣味が仕事!自立!優雅な老後!手作り!
全女性にとって、ターシャさんを構成するもののうち、必ずどれかひとつは憧れ成分に該当してるんじゃなかろうか。
私自身はカントリーとか好きだったんですよ。
(実際にはカントリーもへちまも無い棲家なのは言うまでもない。どうにかしろや)


暖炉の火のそばで―ターシャ・テューダー手作りの世界
以前、この本ともう1冊くらい持ってたんですが、
ヤフオクで売っちゃったよ~。
ぬいぐるみが可愛かった。



ターシャ・テューダーのクックブック
今、手元にある1冊。
おなじみの挿絵。クラシカルな家庭料理とノスタルジックなエピソード。
他人の昔話などと言ってはいかん。



…いや実は、テレビでは一度も見たことなかったよ。
ご冥福をお祈りいたします。

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