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「なつかしの」みたいな話。昭和レトロではなく、古いおたくの単なる昔話と視点のずれた世間話。しかもマイナー好みで忘れっぽい。大空魔竜ガイキングを礎に生きる日々。だと思う。 さぼり気味ですごめんなさい。
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さまんささん
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女性
職業:
バーゲンハンター
趣味:
昔話
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特に何がどうということもなく。
放置気味ガイキングサイトをやってます。URLはサーパラで調べてくださいまし。

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またしても訃報。

イージーリスニング界の巨匠レイモン・ルフェーヴルさんが亡くなった。78歳。
ナッチャコパックのエンディングにも使われていたためオタクにも認知度の高かった名曲「シバの女王」や、城達也時代のジェットストリームのエンディング「夜間飛行」←ロマンチックで広がりのある良い曲です、昼下がりの淑女の楽しみワールド・オブ・エレガンスのエンディング「ラブ・ワールド」インスト版…その他数々の名曲名アレンジ名演奏。(エンディングばかりやってたわけではないです)

私は「ソロモンの夢」がすごく好きだったなあ…今でも好きですが。魅惑の一曲です。
また、♪ダイラガー、それがせいーしゅんー!!ていうホルンがブオンブオンいっちゃう曲を聴きますと、ルフェーブルさんの「嘆きのサンフォニー」の超盛り上がりフレーズ部分を必ず思い出します。



〈COLEZO!〉レイモン・ルフェーヴル ベストだよ
このジャケのレーモンさんかっこいいなあ



日本では新聞にも載ってたニュースなのに、エーゴのwikiではまだ更新されてないよ。(←更新されたようだ)

Wikipedia Raymond Lefèvre 

ついでにimdb

LPもCDも、一度しか定価で買ったことが無くてすいません。
でも手持ちのベスト盤をしみじみ聞いたよ。一度コンサートに行けばよかった、生でシバの女王聞きたかったねえ。

これでまた私の昭和がひとつ終わってしまったのう…。
ご冥福をお祈りいたします。

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うわー、なんてこったこの野郎奴!
野田昌宏氏死去である。
この方はキャプテン・フューチャーの翻訳もされていた方です。

私はSFファンというほどではなく単なるおたくであったけど、氏の著書「レモン月夜の宇宙船」がたいそう面白く、もうほんとに当時の私のツボで、飽きることなく何度も読んだ。
もちろんフューチャーはばっちり揃えたし(腹ペコの時には今でもソースにひたしたステーキサンドが目にうかぶ)、銀河辺境シリーズのグライムズ君がまだ若い頃も好きだった。

後に私の勤めた先で、「SF展」みたいな催しがあった。
ちゃんと入場料も取るような立派なイベントであったと記憶してるけど、私は会場内は見てないのでどんな催しだったかは…。
さらに、イベント告知のポスターに、なんと、「××日×時より野田昌宏氏講演会」と書かれているではないの。
うわあこりゃ大変。
催事課に内線して野田さんにサインをもらってもいいかどうか確認し、「講演を終えた後ならOKでしょう」ということで、私はすっかり舞い上がりまくった。
で。
講演は大盛況だったご様子で、ベージュのジャケットまで汗びっしょりになって会場から出てきた野田さんと数名の男性を発見。(おお、なんと写真そっくり。)
「野田さーん!!」と、氏ご一行を追いかけると、みなさん「え?」と、ちょっとびっくり顔である。
さらにあがりまくりの私がレモン月夜を取り出してサインをねだると、「ああ、なんだぁ…」「こんなところにもファンが」とみんな大笑いされた。私が何かあわてて伝達事項を持ってきたと思われたんだね…すいません。
心優しい野田氏は、三角まゆ毛の自画像つきサインをささっと書いてくださり、その時何か喋ったんだけど覚えてない…とほほ。

さらに、私はその時にファンレターも渡したんだけど、そしたら、翌年のお正月に野田氏から年賀状が届いてびっくり、すごい嬉しかったよ。


レモン月夜はもう紙の色も焼けてしまったけど、もちろんしまってある。
どうもありがとう野田さん。



- - - - -


あの時はうれしくて同僚に見せてまわったよ。

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びっくりである。
どうもこのごろ、氏の声を聞く機会が少なくて寂しいと思ってたんだが。

わたしが初めて意識した声優さんというのがこの方でありました。
というのも、簡単な漢字の名前だったので、「バットマン」の声の出演のテロップで、名前が読めたのがこの人だけだったんだよな…ただし、ひろかわフトいちろうとかって読んでた気もするが。
ストレイカーは、初めて「いい男だぜ」と思った外国人だったな。子供には話が暗すぎて見てらんなかったけどな。初めて見たときは中岡俊哉の出てくるUFO特番と勘違いしてたんだったかな。
「ダンディ2」は佐々木功との掛け合いが面白かったなあ。本放送では見たこと無かったけど、後に友達がカセットテープに録音したのを貸してくれたんだなあ。「それは言えない家なき子!!」とか、すでに広川節だったなあ。
「男たちの夜かな!?」は、ひたすら眠かったり、家の心霊現象(たぶんそうだったんだと思うがよくわからん)におびえつつも、それに耐えて聞いておったのだよ。あの頃、アニメの話をおおっぴらにしているラジオ番組なんてなかったからなあ。
ゲストに神谷・中尾・麻上の3氏とか、佐々木功氏(ヒッヒッヒという笑い声を初めて聞いて驚愕)とか、来てたんだよなあ。
洋画での気に入りは、「ヤングフランケンシュタイン」だな。
他にもいっぱいあるなあ。

気がつけば、もう吹き替えを楽しみにTVで映画を見るという事もなくなってしまってたなあ。


さようなら広川さん。
とかなんとか言っちゃったりなんかしちゃったりして~…って書いとくべきなんだろうか。
ひたすらにしょんぼり。


追記
「男たちの夜かな!?」では、伝言コーナーみたいなのがあったんですよ。
放送中、番組宛に電話して用件を伝えると、それを広川さんが読み上げてくれるコーナーだったんだわ。
午前2時とかに、こそこそ電話かけてましたよ私。親が起きて来ると「何時まで起きてる!!」とぶっ飛ばされるからすごい小声で喋ってたんですが、電話に出てくれる女の人も「あ、おっきな声出せないんですよね?」って、ちゃんと事情を察知してくれるんだわ。
しかし、喋り言葉の伝言頼むのが妙に恥ずかしかったさ。「え?えーと、『××へ。明日学校休む』、でいいですか?」って聞き返されたりしたなあ。
一度、同級生宛の伝言で、「風邪薬かなんかでじんましんが出来たから明日学校休む」、ってのを広川さんに読んでもらったことがあった。
その時広川さんが「薬は気をつけないと危ないよ」みたいなコメントをくれて、「昔、漆でかぶれたことがあって、木の下を通っただけなのにかぶれて、一箇所掻くと、そのオツユがついた手が触ったところまで痒くなって、そこがまたかぶれて、変な話男性自身まで全身にかぶれが広がって大変だった」というような事を語っておられました。
…男性自身の意味がわからんかった私がそこに居たのも懐かしい思い出だが。
(いや、漆の話はまた別の人に対するコメントだったかなあ?もうあやふやだ)

あと、「おーい、少年探偵団劇場がはじまるよー」って、嵐の中を漂流してるような声ではじまる「少年探偵団」っていう劇団のラジオドラマが途中に入ってたりもしました。もう無くなってしまった劇団だけど…少年探偵団劇場っていう新宿かどっかにあった劇場でやってたみたいだが。当時、なぜか学校の先生がその劇団のステッカーをくれたんだけど、今ざっと探してみたら見つからなかったわん。


- - - - -



モンティ・パイソンのブログパーツも今は悲しいのう。

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1の続き。


やったぜ、喜び勇んでPOPEYEを手に入れた。
…どう見てもオタクよりもましなものには見えないであろうこの私が、こんなハヤリのオトナ雑誌を買っていいのかとちょっとは考えてみたが、まあ、ちょっとしか考えなかった。
そして、カルロスくんが載っていたというページをせっせと探す。


当時のPOPEYEは重症のアメリカかぶれで、とくにこの号はニューヨークの最新情報(笑)とやらに徹していた。

で、見開きページに注目。STUDIO54だど。
STUDIO54ってのは、ニューヨークにあった、わりと近年に映画にもなった伝説のディスコですな。くらぶではない、でぃすこですよ、でぃすこ。なんか、ドレスコードがやたら厳しくて、有名人でもダサいのはお断り、一般人ならなおさら。イケてねえのは問答無用で追っ払われるから、みんな必死で奇抜なドレスアップをしてくるとかいう事だったらしい。


で、そんなSUTUDIO54で急遽行われた、エレガンスのカタルシスであるヴァレンチノ・ガラヴァーニさんの46歳のお誕生日パーティーの模様が載っている。プロレスラーみたいのは78年ミスターユニバースだって。トップレスの人魚だとか、みんな悪夢のような仮装だ。
おお。カルロスくんが確かにいるではないか。ジョニー・ウォーカーの赤みたいなおっさんの隣り、全身フリルだらけだ。スタンザとは大違いの様相だわよ。






…いやだから全身フリルって何?






オー、ノー、カーロス!!!








それを読んで、あたしゃ瞬間で燃え尽きたよ。……真っ白な灰に。


- - - - -


それにしても、こんなちっちゃな記事を発見した友達って偉い。ていうかすごい。
でも誰が見つけてくれたんだか、全然思い出せないんだけど。


ちなみにミスターユニバースはこの人らしい。

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stanza

とんがった襟が70年代。
現在の日本で、この人について語っているのは私だけなのだろうか。
 



男女コーラスで♪スタ~ンザ~ルルルルールル~スタ~ンザ~ルルルルールル~ルルルル~♪♪…



おたくと銘打っておきながら、ちっともおたくな四方山話がでなくて、単なるミーハーの懐古話となってる気配がするけど。

あたしゃ車はあんまりわからんのですが、その昔、日産でスタンザという車がありました。



78年のある日。
上記♪スタ~ンザ~のTVCMとの出会いは衝撃的なものでした。
黒い背景、♪スタ~ンザ~と流れるようなコーラス、吹き付ける柔らかな風をうけながら正面を見つめる男女が映り続ける。はじめて見るCM。
「うわー、何これ俳優?やたら顔がいい」。
女のほうはどんなだったかさっぱり覚えてないけど、この顔面整いすぎの外人男に一発で惚れた私がそこにいた。ちなみにスタンザっていう車のほうもどんなだったかさっぱり覚えてない。
それほど整った顔面だったのだ。

そして、どんないきさつでだかこれまた忘れたけど、顔面整いすぎの彼の名がカルロスだということがわかった。
カルロスは、大空魔竜ガイキングで言えばファン・リーと目元がよく似ている。しかし髪形はサコンさんに近い。まあいいかその辺は。
カルロス君(学校の友達のあいだでこのように呼んでいた)は俳優でもないし、これまで何か別の媒体で見たこともなかった。名前以外はぜんぜんわからないままだ。当時はビデオも無かったからさあ。CMを録音して、♪スタ~ンザ~って聞いててもちっともおもしろくなかったし。

しかし私は子供の頃からマニアな行動力だけには長けていたし(ガードドッグを見に行ったり等)、運もそれなりに味方になってくれてるらしく、それから程なくして、なんとスタンザの宣伝用スチールと思しきものとカルロスのブロマイド(?)を入手することができたのだ。
求めよ、さらば与えられん。って、たしかハカイダーも言ってたし。バカの一念岩をも通して願望達成である。
違う、マルベル堂で買ったのではない。


で、しばらくはブロマイドを眺めてうっとりなまことに気味の悪い日々を送っていた私だが、ある日同級のYが、
「ポパイを立ち読みしたら、カルロスが載ってたよ。スタンザの広告とかじゃなくてさ」
と、とんでもない情報をかましてくれた。
いやポパイってオトナ向けの雑誌だっけ?とか、授業中はもちろんそれで頭がいっぱい。
もちろん学校帰りに本屋に急行。


…そして10分後には、衝撃の記事に泣き笑い。(2に続く)

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これまた古い話で恐縮。

友人のTとその友人のJちゃんがバリ島旅行に出かけ、その岐路でのことだった。Tいわく、空港ですでに気になっていたが、モンチッチにそっくりなおじさんがいたのだという。失礼ながら、そのモンチッチ氏は普通の人とはちょっと違うルックスで、色黒で小柄、誰に似てるかというとモンチッチとしか答えようのない顔立ちだ。
しかもそのモンチッチ氏一行は、Tたちと同じ飛行機の、事もあろうにすぐ隣の席だったのだ。


TとJの座席はは窓側、モンチッチ氏一行は真ん中の列だ。そしてモンチッチ氏は連れが大勢いる。奥さんか付き人か知らないが色黒の女の人と、なぜか日本人の家族連れと日本人TVカメラクルーが数名一緒。一見して、何か、日本のドキュメンタリー番組の撮影のようだったという。
そして、モンチッチ氏なのか色黒の女性かはわからないが、かなりの腋臭っぷりに悩まされもした。Jちゃんは見えないようにこっそりと、小さく丸めたティッシュを鼻に押し込んで臭い対策をとっていたようだが、そんなことさえまったくの無意味だった。さらに、飛行機に乗っている間ずっとカメラはモンチッチ氏一行を写し続けているから、落ち着いて眠れなかったそうだ。
ちなみにカメラクルーの方々は悪い人ではなく、迷惑かけてすみませんみたいな、お詫びもちゃんと言ってくれて、ちょっと話してみたりもした。日本人一家のほうは、席が離れていたのでどんな人たちかはつかめなかった。
でも、一体何の番組のロケなのかはさっぱりだった。

さて、こんなバリ土産の話を聞いて1~2ヶ月後、新聞のテレビ欄を見てアッと思った。
某局の、「秘境とニッポン 交換生活」。これじゃないか?
この2時間特番は、何作か作られシリーズ化されていて、いずれも秘境と言われる地域に住む原住民の家に普通の日本人一家がホームステイして、そのおかえしに、今度は原住民一家を普通の日本人一家の家に連れてきてやり、お互いの生活の違いぶりに仰天する、というものだ。
ニューギニアのインドネシア領の奥地に住む原住民のYさん。これがモンチッチ氏だった。

これまた詳しくは覚えてないんだが、たしか、テレビで見るYさんは、絵に描いたような秘境の集落の原住民だった。ここではみんな例の腰みのやら何やらに裸足。もちろん電気ガス水道一切なし、なんかボサボサの屋根の乗った家に住み、手製の矢で仕留めた獲物を食って、木をくりだした器でなんか飲む。そんなような感じの日常。
そこに放り込まれた日本人一家と原住民との生活のギャップが生み出す笑いと、言葉が通じなくてもやがてわかりあえる人情。これがこの番組の鑑賞ポイントだ。
(いや、正直なところ、私はこの手のものは苦手なんだよ。)

そして今度はYさんと奥さん(一緒にいた女の人はやはり奥さんだった)が日本に招待される番になった。腰みのやら何やら常用だった彼らは、いつの間にかポロシャツ姿に着替え、空路日本へ。どうやらこのあたりがTたちが目撃した部分。飛行機でずっとカメラまわしてたと言う割りには、ほんのちょっと映った程度。カメラはTたちに背中を向けていたため、テレビではTたちの姿は映ってない。
そして、日本の文明に驚きっぱなしのYさんと奥さん。ステレオタイプなカルチャーショックの嵐、嵐!!、もう開いた口がふさがらない!!!



いや、しかし。Tの話によるとYさんは…
飛行機に搭乗の際、すでにマタハリデパートの買い物袋を持ってたんだ。
それに、その機は給油のためジャカルタの空港にいったん着陸したんだが、そのときも「オーッ、ジャカルタ!ジャカルタ!!%”*‘@****(現地語)」とかなりはしゃいでたそうな。…多分、ジャカルタがインドネシアの首都って知ってんだなこりゃ。

つまり、番組で見せたほどの強烈な未開の田舎暮らしでもなかったのではないか。
ウェスタン村、とは言わないが、ちょっとは観光産業を収入源としている集落の方だったのではないか。
あのブッシュマンのニカウさん(故人)だって、じつは日本行きの飛行機には背広姿で乗ってきて、マスコミの前ではおなじみの革パンツ一丁に着替えてたって逸話もあるくらいだ。
それもこれも演出って範囲だと思うので、やらせだとかって怒る気は当時も今もぜんぜんなしよ。裏側が透けて見えて、ちょっと面白かったなあという、楽しい思い出として書いてみただけで、それ以上の意図はございません。


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後日、この一件を別の友人に話し、「意外とあの辺の村の人たちって、出稼ぎでファミコンの組み立てラインとかに働きに出てたりしてな」と言ったら、妙に頷いていた。

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